「戦争の心理学」真の戦士はウンコ洩らしても動じない

あるベトナム帰還兵はこう言っている。「戦闘シーンで主役がクソ漏らしてる戦争映画があったら、観に行ってもいいけどな」。戦闘中にパンツを大便で汚す兵士の出てくる映画が、かつて作られたためしがあっただろうか。海外戦争復員協会(VFW)で語られる戦争の体験談に、そんなエピソードが出てくることがあっただろうか。老帰還兵が「ああビリー・ボブ、思い出すなあ。あの晩、おれはパンツ汚しちまってさ」と言っている場面を想像できるだろうか。あるいは戦争から30年後、膝に幼い孫をのせてあやしていたら、その孫に尊敬のまなざしで見あげられ、「おじいちゃん、戦争に行ってどんなことした?」と訊かれたとしよう。そんなとき、「おじいちゃんな、ウンコちびっちまったんだよ」などと答える男がどこにいるだろうか。VFWでこんな話が聞けない理由、幼い孫にそんな話をしない理由、それをよく表しているのがこの格言だ――恋と戦は手段を選ばず。これはつまりこのふたつについて人はかならず嘘をつくということである。また、人が戦争について知っていると思っていることはすべて、五千年の嘘の歴史に基づいているということである。

(中略)

9.11テロほど詳しく報道・研究された事件は、世界史を見ても他に例がないと思う。にもかかわらず、生存者の大半が大小失禁を経験していることはほとんど知られていない。このことで、生存者の勇気が損なわれるとでもいうのだろうか。そんなはずはあるまい。しかし、同じことがわが身に起きたとき、それが完璧に正常な反応だと知っていれば、ずいぶん気分が違うはずである。

ちょっと前話題になった本が大学図書館に入ってたから借りてみた。まだ1/4くらいしか読んでないが、今のところ実に面白い。エピソードの掘り下げ方や文体から、翻訳を経てなお、いかにも(有能な)偉い軍人さんっぽい雰囲気が漂っている。屈強なアメリカ兵がズラーって整列している前で演説してる様子が目に浮かぶ。暑苦しくてちょっと下品、それでいてとても明瞭でウィットに富む――俺の中の理想の軍人像に近くて、読んでてちょっと惚れる。

「戦争」の心理学 人間における戦闘のメカニズム

「戦争」の心理学 人間における戦闘のメカニズム

一方そのころ日本人はこんなもの(pdf注意)を書いていた。

「敵こそ我が友」敵の敵は敵、味方の味方も敵!愛と勇気だけが友達!

第二次大戦後、資本主義vs.共産主義の二項対立の中「西側諸国」の仲間として、表面上そこそこよろしくやっていたフランス・アメリカ・南米諸国による、謀略と不信に彩られた戦後史ドラマ。監督は「ラストキング・オブ・スコットランド」のケヴィン・マクドナルド

この作品の主役、クラウス・バルビーの略歴

ナチスSS入隊

フランスでレジスタンスを弾圧

ユダヤ人の子供を数十人アウシュビッツ送り(?)

戦後アメリカに雇われ、西ドイツで防共を目的とした工作活動を指揮

南米ボリビアに渡り、クーデターを支援。ゲバラ暗殺に関与(?)

反政府主義者をしこたま弾圧

なんというか、ゴルゴ13に10回は眉間を撃ち抜かれそうなオッサン*1である。

敵の敵は味方と思っていたら敵だったでござる」というテーマは「チャーリー・ウィルソンズ・ウォー」等9.11関連映画に通じるものがある。フランスで裁判にかけられたバルビーを弁護した、ベトナム系フランス人のジャック・ヴェルジェス弁護士の法廷での熱弁には心動かされた。

「何故、命令を下したものでなく、命令に従った者に責任を問うのか」

というのは、戦争に限らずしばしば議論になるけれども、それが「私は貝になりたい」的な「いやいや、しかたなくやりました。やるしかなかった」という小市民でなく、バルビーのようなやる気マンマン&超有能な人物だった場合について考えるとき、その問題はより一層複雑になる。

再来週には「我が教え子・ヒトラー」も公開。

*1:実際、南米のナチを扱った話たくさんあったよなあ

「コドモのコドモ」見た

雇用の不安定化でオチオチ子作りもできず、孕んだら孕んだで産科医不足で不安を募らせ、産んだ後には「モンスター」だのなんだの陰口を叩かれるこのご時世、ここまで朗らかに小学生がパーンと子供産んじゃう話に一種の清々しさを感じた。

小学生の妊娠というテーマにもかかわらずセンセーショナルさはなく、さりとて「今日の性教育の在り方とは?」みたいな教育的要素もなく……そして残るは無邪気なまでの子供賛歌(とその陰としての大人批判)。

ポケモン3Dアドベンチャー見てきた

前に座ってた兄弟、一所懸命にスクリーンに手を伸ばしてる弟に対して、お兄ちゃんが「本当に飛び出してるんじゃないから。錯覚だから」と心無い言葉を浴びせていた。その温度差は何かグッとくるものがある。画面に新しいポケモンが出るたび、彼方此方から挙がる「お母さん、あれ○○っていうだよ。○○だよ」みたいな「解説」の声。やはり何かグッとくるものがある。つーか流石に皆よくポケモンの名前知ってるなぁ。 

ピカチュウが3Dでモデリングされているわけじゃなく、キャラクターは基本平面でレイヤーごとに奥行きを作る「飛び出す絵本」「紙人形劇」「ペーパーマリオ」みたいな形式。技術的にはショボさが否めないがブイゼルかわいいよブイゼル

突如ポケモンたちが秋葉原上空を飛び回るシーンがあって(石丸電気とか代表的な看板・建物が結構詳細に描かれている)、その世界観ぶち壊しぶりに心時めいた。聞けば今回全国のワーナーで一斉公開されているのはUDXで上映された「アキババージョン」なんだそうな。

『イントゥ・ザ・ワイルド』見てきた

オリジナル・サウンドトラック“イントゥ・ザ・ワイルド”

オリジナル・サウンドトラック“イントゥ・ザ・ワイルド”


「人間アレルギー」という難病に侵された青年の闘病日記。ヒトが沢山いる場所(ロサンゼルスのダウンタウン等)にいると動悸と目眩に襲われるので、地球上で最も人がいない場所の一つであるアラスカで養生することにしたのけれど、その後いろいろと不幸が重なり、最終的に死んでしまうというお話。アラスカを目指す動機は一応色々と語られるものの、何らかの必然や特別の哲学思想の為というよりは「俺アラスカに行かなきゃ死んでしまうの!」という、意思を超えた本能的欲求が根底にあるようだった。気が狂っていたというよりは、人間という存在に対して過敏だったのかもしれない。決して人間嫌いなわけではない、むしろ道程では素晴らしい友情愛情に恵まれている。でも好き嫌いの問題でなく「アレルギー」の為に体が受け付けない……という感じ。

家族、世間のしがらみ、都会の雑踏が嫌になることは誰にもあることであり、そういう意味では誰もが「人間アレルギー」の患者なんだろうけど、ここまでドラマチックな重症患者はそうおらず、結果こうやって映画のネタになった。終盤主人公が「キャリアは20世紀の遺物」と言い放った時、ヒッピーの方がもっと遺物だろと思ったが……90年代になってもヒッピーはアラスカで死に、その物語はベストセラーとなり、太平洋の反対側で映画として上映されているのだから遺物とは言えないかも。ヒッピーカルチャー未だ死せず。

これは中途半端に(金を稼ぐ力という意味でなく、文字通り「生きる力」という意味での)生活力があったが故の悲劇とも言えるかもしれない。俺だったらアラスカでのサバイバル云々にたどり着く前に、旅費を稼ぐためのバーガーキングでのバイトすら満足に勤まらず、クビになり、すごすごと家に戻り、ニートになるだろうから。それなりの信用力がなければ数千万〜数億の借金が作れないように、それなりの甲斐性がなければアラスカでおっ死んで親を悲しませることも出来ない。そういう意味では自分の無能さに感謝しなければらない。

「ますむら・ひろし宮沢賢治選集」

↓「洞熊学校を卒業した三人」を読んだ時のリアクション

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「卑しいことばかりいていると酷い目にあうよ」という寓話が、卑しさ千倍・酷さ万倍でゲロゲロなマンガ作品に。原作は青空文庫でも読めるけれども、この一本に関しては原作を超えていると思う。宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」「風の又三郎」等によって形作られた宮沢賢治の幻想的・牧歌的イメージをいい意味でぶち壊すスプラッターホラー作品。

かま猫かわいいよかま猫。カムパネルラかわいいよカムパネルラ。

webで料理のレシピを書く人に検討してもらいたいこと

調味料の分量をレシピの文中に書いて欲しい。
携帯に転送して台所で見るとき「材料」と「作り方」を行ったり来たりしなくてもよくなるから。

■作り方
タマネギを透明になるまで炒め、砂糖と醤油を加える。

でなく

■作り方
タマネギを透明になるまで炒め、砂糖を大さじ1と醤油を大さじ2加える。

みたいに。
「自分で書き換えれば?」という意見はごもっともですが。