宮崎駿監督の発言を書き起こして振り返ってみた。

昨日の続き
NHKプロフェッショナル 仕事の流儀 映画を創る 宮崎駿・創作の秘密』の中で、ポニョにかかわる発言をざっと抜き出してみました。本当にざっと。一年半近く前に放送された内容なのに、振り返ってみればネタバレの塊というのがすごい。いかに作品の軸がぶれてないか/監督が考えた通りの作品が世に出てるのかを示してますね。

■スタッフに作品の構想を話す中で

ポニョかわいいねって映画を作りたいんですよ。宗助はえらいねっていう。まとまってないよね。まだね。ストーリーの細かいところはできてないけどでも全体には楽しい愉快な感じにしていきたいです。

( ゚ー゚ )<結局最後までストーリーの細かいところは作らなかったんですね。わかります。しかしポニョ超かわいいね宗助超えらいねって映画でした。

■映画の始まりを(観客にとって分かりやすい)少年宗介の日常生活から始めるか、ポニョから始めるかで悩みながら

どうなんだろうな、むずかしいね。朝はこっちから始まればいいなと思ったんだけど、もう違うんだよね、さんざん何度も考えていったり来たりしてるから。やっぱり宗介から始まった方がいいのかなとかね。宗介から始まるのかなぁ。何かね、通常の形では物語を作りたくなくなっているんだよね。ストーリーをね。それがいけないんですよ。分かる映画って何かって言ったら、つまんない映画なんですよ。論理でやってくとさ、自分の考えで狭くなるから。それを意識的に壊してみようかなとか。そういうことだよ。子供たちは分かるんですよ。論理で生きてないから。

( ゚ー゚ )<もう「普通に」面白い映画では満足できなかったんですね。わかります。ポニョと比べれば「千と千尋」とか「もののけ」とか普通ですもんね。

■最初の場面のイメージボードを描きながら

初めは、その……クラゲの大群から始まると面白いですね。SF映画のように。(クラゲの上のポニョを描きながら)ポニョはここら辺にいるんですよ。ここにへたばってるのは変だしね。これはこういう変なものが出てくる映画ですよ、というのが見始めた途端分かるようにする。

( ゚ー゚ )<わかりました。

■イメージボードを見た鈴木プロデューサーに「海の中から始まるのはよさそうですけど」と言われて

プロデューサーがそう言うならそうするしかないでしょう。(クラゲのイメージボードを指しながら)これをやっぱり攻めなきゃいけないですね。分かりました。攻めます。ほら、鈴木さんがちゃんとひっかかったでしょう?おもしろそうじゃんって。錯覚でもなんでもいいからね。とりあえず見た奴が面白そうって思えばいいんですよ。

( ゚ー゚ )<面白そうって思いました。

■海を舞台にした理由について

海はね。前から舞台にしたかったんですけど、波描くのめんどくさかったんですよ。めんどくさいっていうか、本当に大変なんですよ。浜に寄せてく波とか、嵐とか、そういうの描くのは、本当にめんどくさいですから。それをめんどくさくないような描き方で、それで、海が十分動くような映画を前から夢見てたんですけどね。

海ってものすごく大人しいんですよね。いや、大人しいっていうのも変ですけど。その、高いビルの上から覗くと東京湾なんかね、ほんとにこう波立っているったって平らですよ。本当は違うんですよね。海は還ってくるんですよ。還ってくるのいいじゃないですか。そうするとね、自分の土地だ、俺のビルだとか、くだらない事が全部海の底に沈むってのは、何と清々するんだろう。

( ゚ー゚ )<あんなに明るい雰囲気の「せかいのおわり」は、そうそう見たことがないです。是非立ち会いたいものです。

■「風呂敷を広げる」ということの意味について

例えば、ここに悪い奴がいる。こう、とてもかわいい女の子がいる。お姫様がいるでもいいんです。で、ここに主人公がいる。その悪い奴がさらっていった。戦って取り戻した。めでたしめでたしっていう。いろんなバリエーションで作っていくんです。そうするとこう、話のバリエーションってそんなにないんですよ。そこに、突然海面上昇って問題を突っ込んじゃったらどうするのか。決まりどおり話を作っていくのがとっくの昔にヤになってるから。すぐそういう変なものが入ってくるんですよ。風呂敷包めなくなるじゃないですか。包もうと思ってもずっと向こうの方まで繋がっているようなものを持ち込んでしまったら。ついやるんですよね、そういうのを。

かと言って初めから、この程度にしといてね、包みやすくしとくってのはね、いかにも……悲しいんですよ。それは作意に満ちて作るということですから。この程度の悪役ならおさまるな、とかね。

( ゚ー゚ )<包もうとした気配すらありませんでしたね。たかが「ハウル」程度で「話の筋が通ってない」「設定に矛盾がある」「説明不足」とか叩かれてたのが(叩いていたのが)信じられません。

■映画を通して伝えたいテーマについて

僕はとりあえず映画が映画になっている。映画として恥ずかしいものにならない、とにかく映画として形になっているものを作るのに精一杯なんですよ。だから、子供たちにこれを伝えたいから映画を作るっていうのはカッコイイけど、あんまり信用してないんですよね。子供たちにつまんないと言われたくないじゃないですか。そっちの方が先ですよ。

世の中で一般的に言われているような、こういうのを訴えたいからとかというので作品を作ったら、それは下らないものですよ。命の大切さって……それは命は大切だって書きゃあいいじゃないですか。そういう風にテーマをこう簡単に抜き出せるものはみんないかがわしいと思いますね。

( ゚ー゚ )<「生まれてきてよかった」とか「生きろ」はテーマじゃないんですね、わかります。

■今後の活動について

長編はもう最後でしょうね。これは、もう物理的に最後だと思います。いや……、と思うけどそんなこと言ってもしょうがないですね。

( ゚ー゚ )<新作発表フラグですね。わかります。

■ミレーの絵画『オフィーリア』を見て

なんだ、彼らが全部やってきたことを下手くそにやってたんだって思ったわけよね。驚嘆すべき時間だったんだけど。ああ、おれたちのアニメーションは今までやってきた方向でそのまま行ってもやっぱりダメだってよくわかって。自分たちが薄々感じてるもんなんだけど。俺は感じてる。これ以上行きようがないって。(スタッフに映画の方針を伝える文章において)「精度を上げた爛熟から素朴さへ舵を切りたい」

( ゚ー゚ )<……茶化す言葉が思いつきません。

津波に乗って宗介の元に来るシーンのイメージボード『ポニョ、来る』を描きながら

こんな絵描いちゃって大丈夫なのかね。

男の元に駆けつける恐ろしいポニョを……大丈夫かねこれ、すごい絵だね。

ああ恐ろしい。変な絵だね。これ、絵を単純化しなきゃいけないから。ここに影塗って、ハイライト付けてとか、全部塗り分けてとかやっていければいいけど、それやりたくないんだよね。それ嫌いじゃないんだけど、この映画は違うんだって。

ああ怖い……怖くない、かわいい。ミスマッチを成り立たせたいんだけど。

この映画の本質はあの一枚なんですよ。こういういっぱいの絵を描いてるけど、こうじゃないんですよ。これ現象なんです。本質はあそこにあるんですよ。だからやっと本質の絵が描けたんですよ。それは風呂敷に簡単に収まらない絵なんですよ。これが映画の最初の一枚なんです。

( ゚ー゚ )<最高でした。

追記:
みぐぞうの後ろ向き日記 「崖の上のポニョ」のぬいぐるみの出来が物凄い件について
観る前と後では印象が違うよ。全然違うよ。