「夜と霧」極限下での人生訓

夜と霧 新版

夜と霧 新版

東大、京大、北大、広大の教師が新入生にオススメする100冊」第十位。タイトルだけはセンター試験の「現代社会」や「倫理」の問題で馴染みがありました。ナチス強制収容所という極限状態での生活から、社会全体、あらゆる人間・組織に適応可能なメッセージを引き出した本です。

トルストイ原作の『復活』という映画があったが、わたしたちはこれを観て、同じような感慨を持たなかっただろうか。じつに偉大な運命だ、じつに偉大な人間たちだ。だが、わたしたちのようなとるに足りない者に、こんな偉大な運命は巡ってこない、だからこんな偉大な人間になれる好機も訪れない……。そして映画が終わると、近くの自販機スタンドに行き、サンドイッチとコーヒーを取って、今しがた束の間意識をよぎったあやしげな形而上的観念を忘れたのだ。ところが、いざ偉大な運命の前に立たされ、決断を迫られ、内面の力だけで運命に立ち向かわされると、かつてたわむれに思い描いたことなどすっかり忘れて、諦めてしまう……。なかには、ふたたび映画館で似たり寄ったりの映画を目の当たりにする日を迎える人もいるだろう。そのとき、彼の中では記憶のフィルムが回りはじめ、その心の眼は、感傷をこととする映画製作者が描きうるよりはるかに偉大なことをその人生でなしとげた人々の記憶を追おうことだろう。

もういいかげん、生きることの意味を問うことをやめ、わたしたち自身が問いの前に立っていることを思い知るべきなのだ。生きることは日々、そして時々刻々、問いかけてくる。
(中略)
存在することの意味は、人により、また瞬間ごとに変化する。したがって、生きる意味を一般論で語ることはできないし、この意味への問いに一般論で答えることもできない。ここにいう生きることとはけっして漠然としたなにかでなく、つねに具体的ななにかであって、したがって生きることがわたしたちに向けてくる要請も、とことん具体的である。この具体性が、ひとりひとりにたったの一度、他に類を見ない人それぞれの運命をもたらすのだ。だれも、そしてどんな運命も比類ない。どんな状況も二度と繰り返されない。そしてそれぞれの状況ごとに、人は異なる対応を迫られる。

自分を待っている仕事や愛する人間にたいする責任の重さを自覚した人間は、生きることから降りられない。まさに、自分が「なぜ」存在するのかを知っているので、ほとんどあらゆる「どのように」にも耐えられるのだ。

著者自身が収容所で見抱いた「生きる意味」は具体的かつ合理的で、非常に意義深いものです。かくありたい。