2+2は4であり、神は妄想である。
- 作者: リチャード・ドーキンス,垂水雄二
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2007/05/25
- メディア: 単行本
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宗教批判本。
「イスラム原理主義批判」とか「ファンダメンタリスト批判」とか「創価学会批判」とか
そういう限定された意味での批判でなく、
全世界のありとあらゆる全ての宗教への批判*1。
「神様は本当にいるか?」みたいな甘ちょろい反語表現でなく、タイトルも直球だし。
「死んだ」って言っただけで地獄の最深部で両手両足に鉄球を吊り下げられ、ヘドロの沼でもだえ苦しんだ男もいるのに、死んだらどうなる>ドーキンス
- 神はいるよ派
- 俺は神だよ派
- 俺この前神に会ったよ派
- 会ったこと無いけど神はいるよ!経典に書いてある通りだよ派
- 宗教画みたいな姿じゃないし処女を妊娠させたりもしないけど神はいるよ派
- 人間とコンタクト取ったりはしないけど神は遠くで俺らを見守ってるよ派
- ビッグバン始めたり万有引力定数とか決めたのは神だと思うよ派
- 神はいないけど宗教はいいものだよ派
- 賛美歌や教会建築は素晴らしいから宗教はいいものだよ派
- 苦しみや死に救いを与えるからいいものだよ派
- 道徳やモラルを教えてくれるよ派
- 皆信じてるからきっといいものだよ派
- 何信じようが個人の自由だから勝手にすればいいと思うよ派
……のような、宗教や神への典型的・普遍的・常識的な意見を滅多切りにしていく。
まぁ無我夢中で刀を振り回すうちに、なんか切ってはいけないものまで切っちゃってる感じはするのだが…。
ドーキンスの専門とはズレた部分ではあるが「道徳やモラルを教えてくれるよ派」への反証は面白かった。
- 聖書には「神に命令されたから子供を殺そうとした」「家を取り囲む暴徒を宥める為に娘二人を差し出そうとした」みたいな、今の道徳的価値観からすると酷すぎるエピソードが満載。イエスは「家族を捨てて俺の所にこい」って言ってるし。とてもそのまま道徳の教科書にはなりそうにない。
- むかしむかし(と言うほどそうむかしでもないむかし)、女性に参政権が無いことは、黒人が人間でないことや、ハンセン病が前世の悪行の報いであることくらい疑いようのない正しい世界の常識だった。異教徒の街を略奪し、像や寺院を破壊するのは善行だった。イタリアでは100年ちょい前までユダヤ人の子供を無理やりキリスト教の洗礼を受けさせ、親から引き離すのは正しいことだった(今の感覚で言えば、家庭内暴力に遭ってる子供を保護するようなもの)。道徳やモラルの有りようは大きく変わった。宗教とは関係なく。
結局の所、宗教が道徳を変えるのではなく、道徳が宗教を変えるのだろう。
結構厚い本だけど、各章ごとに「結局ドーキンスが言いたかったこと」が数行で纏まってるトコがあるので
バシバシ飛ばし読みしても大丈夫かも。
●原理主義宗教家
2+2=5だと信じている。その理由はそのように書かれているから。
税金の控除額の計算のときによくトラブルになります。
●穏健な宗教家
現実的には2+2=4という基本に沿って生活している。しかし規則的に教会などに行き、以前に2+2=5の時代があったとか、いつかまたその日が来ると言われ続けている。そして実際精神的な世界では5であるはずと信じている。
●穏健な無神論者
2+2=4であることを知っている。 しかしながら2+2=5と信じている人が感情を害するかもしれないので、大きく主張することは無礼だと考えている。
●戦闘的な無神論者
おいおい、よく見てくれよ。ほら、ここに小石が2個あるだろ?それからあと2個がここだ。全部で4つだろ。 おい、おかしいだろ。お前らどんな計算のしかたをしてるんだ!