「宇宙をかき乱すべきか」…しょせんすべてはちいさなこと

充実した人生を送ってるあの人は、1年後の未来のために今行動できるのでしょう。
ビジネスマンとして事業を成功させたあの人は、10年後の未来のために今行動できるのでしょう。
素晴らしい政治家とは、100年後の未来のために今行動できる人を指すのでしょう。


F.ダイソンは……10000年後の未来のために今行動できる稀有な人なんでしょうね。


宇宙をかき乱すべきか〈上〉 (ちくま学芸文庫)

宇宙をかき乱すべきか〈上〉 (ちくま学芸文庫)


 科学啓蒙書の名著中の名著と名高いF.ダイソンの自伝を読みました。

 僕は核の拡散や地球規模の環境破壊などという問題は、人々がその英知の全てを結集し解決に当たらなければならない、「一生モノ」の課題であると思ってましたが、少し認識を改めまなくてはいけないかもしれません。平和運動環境保全もしょせん人類が新しいステップに踏み出す上で、当然解決しなければならない小さな問題に過ぎないのかもしれません。地球温暖化などというのは、言うならば中学1年一学期の中間テスト程度の「困難な課題」であり、「宇宙文明」を目指す為には、当然鼻歌交じりに片手間で解決できて当然のゴミみたいに小さな試練である、と。生命が増殖と複雑化を命じられたマシンであるなら、その先に地球からの、太陽からの、銀河からの逸脱・エクソダスというプロジェクトが必至であることは疑いようがなく、今僕たちを悩ませてる問題の多くはその挑戦の舞台にたどり着くための、これから何十と続く試練の、ほんの一次試験に過ぎないのだというわけです。人間が「この程度の」問題も解決できないとしたら、しょせん「この程度」の存在だったというだけです。アホかおめーら、こんなところで躓いてどうする、まだ先は長いんだぞ――僕ら「出来の悪い中学1年生」を叱咤激励するダイソンさん。ステキな人だ。

 オッペンハイマーファインマンさんのみならずキューブリックとコンタクトした話まであるとは(「2001年宇宙の旅」に出たけどカットされたよ、ああよかったよかった――というエピソード)。最後の最後、人間原理とからめて宗教と科学の関係について語ってる部分は正直「?」が多かったですが、戦争、軍事力、核兵器に関する論説には思わず唸りました。全体を貫く、やや楽観的な技術観は「あえて楽観している」ところが大きく、そこは批判する部分じゃないのでしょう。